Le cantique de Noël (3)  


              

あの年……ふたりきりで過ごした2度目のクリスマス。
俺がノエルの寒さに追い立てられるように部屋に入ると、鉢植えの樅の木は、完璧な円錐形で見目麗しく、さまざまな飾りがつけられ、暖かい部屋の中に立っていた。
考えてみれば、俺にとってクリスマスツリーは、家庭の団欒、家族の温もりへの憧れみたいなもんだったようにも思えてくる。
そのツリーは、どれものだめらしい風変わりで可愛らしいオーナメントに彩られ、ちゃんと綿の雪まで飾られていて、まさに完璧なノエルの象徴としての存在感を示している。
前年、のだめが部屋に入れた、天辺を屈め天井を摺った巨大で不格好な代物とは、雲泥の差を感じ、のだめの成長を実感して俺の背筋に感動が這いあがった。
そして、何より、用意するようにのだめに言いつけた食材が、俺の言っておいた通りにきちんと下拵えをされ、キッチンにあるワゴンの上に準備万端、過不足なく並べられいた。

苦節△年、やっと俺にもノエルの祝福に預かれるのか、思わず拳を突き上げそうになったのだが……

だが、のだめはどこに行ったんだろう?
当然あるはずの奴の姿だけが部屋になくて、俺は去年みたいに俺じゃなくて、他の男……友人だけど……そっちを優先させて、どこかをほっつき歩いてるのだめを連想した。
急に地獄に叩き落された気分だ。
アゲといて急降下した落差に脱力しながらも、冷蔵庫を覗き、自分の求めに応じようと懸命に頑張るのだめのことを思い浮かべた。

こうなれば、料理でもして、奴を待つ他ないと腹をくくり、初めて、キッチンのトップの上に目をやった。
すると赤いものが見え、心臓が一つ拍を置いて、跳ねた。
芯を繰り抜こうとしたのか、抉られた紅玉が、二つ。
無残に穿たれた穴、そこから排出されたズタズタの林檎の芯の残骸……その色があまり変わっていないので時間は経ってない……
不審に思った俺がそこに近づくと、あり得ない光景が眼に入り、俺は叫び出しそうになって口に手をやる。
あるはずのないものが、カッティングボードの上にあった。 点々とついた血色の飛沫の痕跡
シンクに無造作に投げ出された血糊のついた、マイ包丁。
俺の包丁をこんなにしやがって・・・・停止した頭で最初に思った瞬間、恐怖が押し寄せた。
いや、あいつのことだ、肉でも捌いて……見れば、シンクの上の戸棚の底面にも僅かに血がついていた。
そんなわけない……

「!!っ  のだめーーーーーっ 」
俺は叫び、
走るように寝室に向かい誰もいないことを確認すると、バスルームへの扉を開け、頭から血を流して失神しているのだめを見つけ、その白い首筋に脈打ち、温もりが失われていないことをまず確かめてから、震える手で出血の位置を確認した。
大量に出血したのは、傷が頭に出来ていたからだ。その切り傷は、少しも深くなくてそこまで来て、俺は息をついた。
何のことはない、それまで息をするのを忘れていたようだ。
時間にすれば2分くらいだろう。何時間にも感じるのは、ヒトの感覚が如何に感情に左右されるかという実証だ。
俺は手当する前にまず、いつものチェリーピンクではないけれど、ちゃんと桃色の唇を自分のそれで覆った。
パニックを起こした自分を宥めるために、その柔らかさと甘さが絶対に必要であることを、本能で感じたからだ。
のだめは意識を手離しているのに、長い睫毛を振わせて、いっぱしに眉根を寄せた。
まるで、大人のオンナみたいに……

その瞬間、自分の最後の女はのだめなのだと思った。
そう、のだめこそ、音楽にしか仕えることを許さなかった俺の魂の尻尾を、まんまと掴んで引き摺り回せる唯一の存在で……
おまけに、どっか他の星の生物だと油断させておいて、最後にちゃんと地球に生きる年頃の女だって、正体を現した小悪魔
俺の……俺だけの……特別な……

一向に目を覚ます気配のないのだめに慎重に手当を施し、俺は心穏やかに、晩餐の用意をしたんだっけ。
二人だけで過ごす聖夜の正餐の用意を今夜は夜通し、俺の滾る血を穏やかに鎮めるワインを飲みながら、語り合おうか。
駄目だな、話してると、そんなことをするより違うことをしたくなるだろ?・・・俺は・・・・・・まだ早過ぎる、のだめには……


あいつの頭の傷を消毒してる時、見てしまった。
旋毛じゃないところに渦巻く髪の毛の中心に1ミリ四方くらいかすかに盛りあがってる痕……
幼かったのだめが受けた試練、それでも必死に音楽のもとを離れず、ピアノを弾くことを辞めなかった彼女の魂を心底、愛しいと思った。
これ以上、のだめの魂にのだめの音楽に傷を負わせたくはない、それはあの時から今に至る切実な俺の願いなのだ。


のだめの精神に一番近いところにいる俺だから。
影響を与え易いのも、辛い思いも人一倍させて、俺のために泣かせていることだって知っているけど、俺にはおまえしかいないから。

おまえだって、俺しかいないだろ?

しかたないのさ、音楽の神さまが出会わせてくれた二人。
奇妙な縁は切っても切れない絆でこんがらがって絡まり、もう、どこからがおまえで、どこからが俺かなんて解らなくなってて。




羊飼いよ、汝らの喜びは誰が為か?
かの甘美なる歌は何のためか?
いかなる者が、勝利と征服で かの凱歌に満ちた声に相応しいのか
Bergers, pour qui cette fête?
Quel est l’objet de tous ces chants?
Quel vainqueur, quelle conquête
Mérite ces cris triomphants


〜〜Gloria in excelsis Deo
    Gloria in excelsis Deo 〜〜


あの時もいつもと変わらず、俺の料理の匂いで目覚めた我が姫は、俺の気も知らず、後ろから俺の腰にしがみついた。
結局、ワインなんかで騒ぎ出した血は鎮まらず、結局、頼ったのは音楽で、俺はのだめが寝着くまでずっと、賛美歌のメロディをを知ってる限り、弾きまくった。
俺流のアレンジを加えつつ……
もちろん、のだめみたいじゃなくて、ちゃんとアナリーゼに則って楽曲の基本的構造を壊さず、宇宙の調和を目指し……
俺の意識をのだめの肉体から遠ざけるために、ひたすら集中して……




***~=*=~***~=*=~***~=*=~***~=*=~***~=*=~***

―― ムッツリもーど全開のシンイチくんですか?  
―― のだめ、嬉しいデス。 ほんとに夢じゃなくて……一生そばにいれる。
―― もう、シンイチくんの背中ばっかり見て無くていい……んです……ネ


ベッドにそっと横たえるとのだめは静かに涙を流していた。
もう……こいつって……どうして……
こんなにも、俺の心を根こそぎ攫ってけるんだ?

「今夜は正真正銘、神の前で誓う夜にする。
 俺は全身全霊で…… 」

「あの・・・・先輩……」

「ベッドでは先輩って言ったら、駄目だって約束だろ?
 言う度に寝るの一時間遅らすって、まだ身にしみてないのか、おまえ……」

「いいんです、今日の先輩はどうせ、エンドレスの予感デスから。
 それより、先にディナにしません?
 デザートの……いえ、先輩ののだめの為のソロコンサートの後に…… 」

「そっか、今始めたら……
 いや、俺だって鬼じゃないぞ。
 腹も減るから、まあ、まずは軽く、アペリティフがわりにしとくとするか……
 そう、デザートの後ももちろん、忘れない夜にしてやる。 楽しみにしとけ 」

驚いて大きな目を白黒させるのだめが可愛くて俺は腹の底から満たされ、口の端が自然に上がった。
のだめを組み敷き、唇を重ねる頃には、宝物を手に入れた達成感が強烈な欲望に変身して俺はあるがまま、躯を本能に任せた。

「ダメ……  ぁ・・・・ シンチ・・・・く・・・・・」

―― シンイチくんが軽くったって、のだめの腰は抜けちゃうってんですよ……
―― でも、いいっか。 シンイチくんがそうしたいのなら……のだめは何だっていいデス。
―― 偶には先輩孝行…… そ言えば、勤労感謝も、敬老の日も、似たようにしてあげたような……
―― ヴェイユドノエルでも、何でものだめはシンイチくんについていきます。
―― 俺さま、シンイチくん……大……好き……だ……から………








  いと高き処、神に栄光あれ

〜〜Gloria in excelsis Deo
    Gloria in excelsis Deo 〜〜
天使たちは告げたまう イスラエルの救い主の誕生を 感謝の思いに満ちて
いと厳粛なこの日を歌いたまう

〜〜Gloria in excelsis Deo
    Gloria in excelsis Deo 〜〜
羊飼いたちよ、身を隠すのをやめよ
天使たちの合唱に加われ 汝らの優しき風笛もって
天の歌が終わることなく続くように
Bergers, quittez vos retraites,
Unissez-vous à leurs concerts,
Et que vos tendres musettes
Fassent retenir les airs


〜〜Gloria in excelsis Deo
    Gloria in excelsis Deo 〜〜






俺とのだめ……
どうして彼女が傍にいなければ、自分の音楽を続けられない気がして来るのか…… 未熟で自立してない自分の甘えだと信じ、彼女など居なくても良い演奏が出来るようになろうと努力して努力して、此処まで来たくせに来てみれば、やっぱり彼女が自分には無くてはならない存在だと恵と過ごした日々で俺は学んで来たわけで、
自分の理屈で答など出ないことを思うと少々、癪に障るのだが、もう此処まで来たなら「悟りの境地」という他ないだろう。
どうして?などと思う問題ではない、次元が違うのだ。
生業として取り組む音楽へ傾ける時間はいくらあっても足りず、多忙を極める俺は、いつの頃からか禅問答のような「卵が先か鶏が先かという類の話」と同じく還元不能な命題は回避することにして、とにかく音楽を第一に生きてきた。
困難であるがゆえに小さな達成感もやり甲斐もある、
自分の指揮者としての生活にやはり「のだめ」は欠かせない存在で、ポンヌフの大喧嘩もデセール失敗流血イブも起こってなければ、他に何か絆を深める騒動があったのだろうし、真剣に対峙して乗り越えて来た事も、日常に鏤められた他愛無い……でも恵に言わせれば「事件」な出来事も、まるで奇妙に入組み、象られたジグソーパズルのピースにも似て、その一片一片は無くてはならぬものだったってことが、今頃になってやっと……。
そして、いまだに未完成ではあるがぴったりと嵌ったピースが描き出した光景の中には裏から見ても、逆さから見ても、俺と恵がいる。おまけに、かなり乱暴に振ってもピースが落ちないのは、それらを繋いでいるものが、二人が紡ぎ出してきた音楽そのものだからなんだって、解ってきたのは俺だけなのかもしれないけど、俺には恵が必要で。。。
自分の音楽を最優先させ、神経を立て粘着質に音楽を追求するあまり、それ以外が見えなくなる性格が人間関係や自分の精神の均衡を欠く限界で、何とかやってこれているのも……恵と出会えたからだと、今となっては認める他にないだろう。
それに相身互いとは良くいったもので、こいつを受け止められるのは自分だけで、のだめが俺の元に来ないで生きてる姿なんて想像できないのだが、それでも出会わなければ別の生き方もあったのだと思うと、結局、神の配剤の妙というべきなのかもしれない。

恵……一度しかない人生の残りをおまえとともに歩める幸せを超える幸せなど、今の俺には、想像できない。
ちゃんと出会えたこと、神の祝福を受けた身であることを感謝して、せめても己がなしうる唯一の表現手段……音楽に打込んで、自分の演奏を極めることで少しでも恩返しをしようと思う。
たかだか、一人の人間がやることだから大したことはないけど、おまえが俺のそばに在りさえすれば百人力だ。
世の大勢にで世の中の調和や人々の精神の安寧に貢献できたらなって、すやすやと腕に眠るおまえの顔を見て、思った今年のイブ。
・・・・いや、すでにノエルにかかったな……
祝福を存分に浴び満ち足りた我が身を神に感謝しつつ、頭の中でルフランする賛美歌のメロディを吐息混じりにハモった俺は、押し寄せる眠りの波に身を任せた。



〜〜 Fin.〜〜
(歌詞、日本語訳唱歌部分はWikipedeiaから引用させて頂きました)
この作品は如月マリ様のイベント"12months of Lovers"に参加させて頂いたものです。 2010/12/25