Frailty, thy name is woman

古巣に残してきた友に呼ばれ、オペラを振ることになった。
俺が音楽に初めて心を揺さぶられ、涙して、いつか指揮者になってやろうと誓ったのはヴィエラ先生の 「運命」(Beethoven_symp_5 C Miner Op.67)だったのだけれど、その後、僕の夢を膨らませてくれたのは、音楽が織りなす総合芸術というべき、オペラの舞台だった。
あの頃、巨匠 セバスチャーノ・ヴィエラの振る歌劇に、人というのは、どうしてこんなに手間も暇も金も使って、感性を溺れさすようなモノを創ろうとするのかと不思議に思うとともに、本当にその世界に夢中になった。

人間というのは、本当にすごい。
どの楽器よりも、感情を吐露する音を出す。
体がとにかく楽器と同じの歌い手たちは、豊かな声量を自由自在に操って、劇中の人物になりきる。
プロだから、そうなのだろうが、楽器と違って表情さえも、恍惚として、全身で感情を表現して。

練習や舞台から降り、すぐに素に戻れるものなのか、自分には出来ないと思う。
俺は感情を内包してエネルギーに変えて表現する方だから、
何もかも曝け出す、オペラの唄い手を尊敬するとともに、脅威に感じることがある。
彼らは、戸惑わないのだろうか・・・・ 舞台の上で生きるもう一人の自分の姿に・・・・

とにかく、オケも歌手も……  人間の力は計り知れないと思う。
指揮をするってことは、
「音楽を愛し、人が音楽をすることを奇蹟と感じて、一緒に音楽を奏でる一人ひとりを尊敬すること」
それが基本なんだって、指揮者の駆け出しとして名を連ねられるようになってやっと解ってきた気がする。

それにしても、俺も、無人島に流され楽器も無かったら、自分を鼓舞する為に、歌を唄って生きていくんだろうか?
そして……俺は、オペラの舞台でプリマドンナを見れば、かならず思い出す奴がいる・・・・








綺麗な声だった。

生れた家が音楽よは切ってもきれない楽器メーカーの社長令嬢。
恵まれた環境をバックに一流の演奏者たちが奏でる極上の音楽を纏って育ったお姫様・・・・・・
世が世なれば、求婚する勇者は血で血を洗う決闘なんてしたりして。
日本にソシアルクラスはないと謂えど、間違いなく上流階級に属する類いまれな佳人、それがあいつ、多賀谷彩子

聴きたいと思えば、世界中のどこのサロンコンサートにも行けるし、どんな古い文献だって、最新の売り出し前のCDやDVDだって意のままに彼女のもとに届けられる。

美しく優雅な女王さま
歌は本業?
いいや、多分、彼女の親、いいや、彼女自身だって、淑女のたしなみとしか思っていないのだろう。

ただ、多賀谷の娘がやるからには優劣がつけられるものであれば、彼女は燦然と輝く頂点に立つ存在たりえなければならない。
彼女はそういう風に生まれて来たのだから、その位置をキープするのが必然なのだ。
優雅に泳ぐ白鳥も、湖面の下で、水掻きのついた足を忙しく動かしているように。
人知れず、舞台でもお姫様パートを歌いあげる彼女は、努力し続ける。人に弱みは決して見せないけれど。
俺も……、彼女がなりふり構わず何かに没頭する姿を見せられたことがない。
知ってる、真一?
努力という単語の努めるという字は、「女の股の下の力」と書くのよ。
この国って男尊女卑もいいところ、オトコ社会の中でどんなに女たちが頑張って、銃後の守りを引き受けてきたか。
真一は向こうで生まれたくせに、時々すごく封建的だから、少しは自覚して、反省して欲しいものだわ。


あの頃、俺は彩子が望む理想のオトコを具現化することが最低限の自分の務めだと思ってた節があって、そんなに彼女自身のことを知りたいと思わなかった。
それは彼女の方も同じで、たとえば、彼女は俺が料理にも才能を発揮するだなんて知ろうともしなかっただろうし、俺もそんな姿を見せたくも無かったから……。
考えれば、彩子の方が俺よりずっとしっかりしていたから、将来のことなんか聞いたって凄く優等生な答えが返ってくるに決まってたし、彩子もまた、俺の悩みや迷い、弱いところは俺自身が克服するのを待ってればいいのだと思ってた節があって……
俺のことを認めていたからこそ、彩子は、俺がトラウマから来る恐怖症で、飛行機も船も乗れなくて海外どころか、沖縄だって行けない事を知っても、さして問題にはしなかった。それは何かの切っ掛けで治るだろう、とか言うことじゃなくて、日本でもちゃんと自分で出来ることで一番に成ればいいのだ、というのが彼女の理論で・・・
それこそが、彩子が彩子たる所以で、彼女はどんな意味でも、「一番」が好きだったからだと思う。
そう…… 彼女は、出会った時から、自分の人生の真ん中を見極め、まっすぐに堂々と生きていた。
きっと、回り道など、彼女の中には存在しない。
道がなければ、レールを引けばいいのだし、たとえ自身の力で出来なくたって、やりたい事さえ解っていれば、人や金にあかせて道を拓かせば良いのだから、なんて思っていたんだと思う。
彩子はそういう女だった。彼女は俺の母のように見事に完成された女だった。
自分がすべき事を知っている……という事は、彼女は自分のテリトリー以外のことには、手を出さないということで……
潔い……と言えば、その通りで、彼女は築き上げた自分の世界の誇り高い創世主以外の何者でも無かったから。
彼女のもとにいる者は男も女も、彼女に従って動かざるを得ないところもあり、俺自身、自分の音楽の世界を創るのに夢中になってたしまえば、彼女に応えることが出来ないのは当たり前のことだったのである。
俺たちが行き詰った頃、俺は何とか自分の音を繋ぎ合せて創った狭い殻に閉じ篭り、自分にとって神聖なその空間に境界線を引いた。
そして、その世界が崩壊に向かっていても、彼女は決して手を伸ばさなかったのだ。
俺の心は其処にこそ、あったのに……
彼女をエスコートする俺が、クールにオトナぶって装っていることなど気付かなかったのか、
いや、多分、気付いていても、気付かないふりをした。その方が、うまくいく」=「真一のため、一番真一にいいのだ」
と思っていたのだと思う。 それは、あくまでも彼女の善意から出たものに違いない。
それは、なんだか……俺が女なら、そうするかもしれない行動で、優秀……優れていて、秀でていた彼女の考え方は、王道で少しの歪みもなかくて。。。


それなりに付き合った相手も男女の関係を持った女も片手では収まらないほどいるのだけれど、すぐに思い出すのは彼女だけだ。
ときどき、良識ある女ならどうするか考える時に参考に思い浮かぶのは、多賀谷彩子、そのヒトだったりする。
彩子に対しての男の衝動とかは、他の女と同様、綺麗さっぱり忘却のかなたなのだが、そうやって偶に記憶を取り出すに残るのは彼女ひとりなわけで……逆に言えば俺……彩子以外にいたはずのガールフレンドの記憶が全く無い。
すれ違っても気づくかどうかも自信ないし、ましてや名前が出てくるとは思えないんだから、この事については 「冷テェ奴だな、氷のかけらを飲み込んだ黒王子っておまえのことだよ、千秋っ」って峰に言われてもしかたないかもしれね。

そう…… 今の俺には彼女はすでに女ではなく、「俺の生きてきた中で、信頼できる隣人」の一人だと言える。
そう考えると、遺伝的には一番近しい、尊敬も軽蔑も出来ないどうしようもない、「同じ千秋姓のアイツ」より、俺に影響を与えた人間なんだと思う。

もし、あの頃の自分が彼女のどこに心魅かれたかと問われれば、俺は即時に、その澄んでいて伸びやかな声だ……と応えるだろう。
その繊細だけれど、朗々と響く声に。
明るく疵のない、煌めくダイヤモンドのようなソプラノに俺は心を奪われた。
鈴が転がるというより、ハンドベルの音のような、あたりの気を震わす、優雅な声
彼女は歌うのが好きで、声楽を学ぶことを決めてからは、金に糸目をつけず自分にせっせと投資した。
果たして、彼女がプロの声楽家とか歌手とかを目指していたかは知らない。

そういえば、自分は彼女とはのだめと違って初めから、互いに立場を尊重し合いながら対等に付き合っていた。 所謂、常識的な交際をしていたのだから、外で会って食事して落ち着いて話するのが日常なのに、俺は彩子の夢なんて聞こうと考えたことも無かったのだった。




R☆Sオーケストラで振るオペラは市民ホールで行われる初心者向けのオペラで、「白薔薇歌劇団」なんて三文オペラをさらに安くするようなネーミングがついていた。
その主宰は…… 桃が丘の声楽科で、彩子と張り合っていたプー子こと、菅沼沙也である。
主役のパミーナは、菅沼がやることになっていると聞き、引きそうになった俺も、彼女の歌の実力は認めたのだ。
何より、俺をこのオペラへと駆り立てたのは、峰のいつもの猪突猛進、パワー全開のやる気 と、菅沼の歌への純粋な情熱だったのだと思う。

菅沼は奥行きがあって素晴らしい声の持ち主だと思う。
感情によって七色に輝き出すその歌声は、天からの授かり物であり、確かに彼女の身体を通って、この舞台「魔笛」ではパミーナ王女の声となって心に響くのだ。

面白いと思った。 先が見えなくて底知れない。
人間というものは、何処まで行けるのだろうか。 音楽は人間によって創られ、人間が奏でるものだから。
未知への可能性を秘めて、どこまでも行けそうな気になって歩いていると足元に元の黙阿弥にするような穴が開いてたり、
高い山壁がそそり立ち、行く手を塞いでたり、何時も間にか、崖っぷちに追いやられてたりもする。

上に行くにしても、下に行くにしても、自分を見失わなければいい。
のだめには、事あるごとに、そんな戯れ言を説いて聞かせたりするのだけれど、結構コレって難しいと思う。
指揮者というのは、この場所に音楽を奏でるために集う音楽家たち夫々が持つ音色を引き出して調和させながら、胸にある理想の調べを目指して創りうる最高の演奏を世に送りだすことを生業とする。 自分の音楽は自分にしかできないし、リハもゲネも含め、まるきり同じ演奏は二度と出来ないのだ。

一期一会…… それならば、今日という日を大切にしなければならないと思う。

いつか、多賀谷彩子でも、菅沼沙也でもない、俺自身の音楽を高みに導くための歌姫や歌彦たちに出会えるのだろうか?

げっ さっきから背中に視線……その中には殺気が混じってる??
もちろん、俺の音楽を完成させる舞台での夢は限度がないけど……
やっと、生活者として分けるということを覚えた俺に、”ハードな現実”はこの頃、嵩張るくらいに自分へ責任を押し付ける。
現実の奴隷にするために俺に鞭を振るうのは主に事務所の辣腕マネージャーのエリーゼだけど。
人から頼られるのは好きじゃないと思ってたけれど、俺ってもしかすると、シュトレーゼマン以上に人間が好きなのかもしれない。
やっぱり、長い間殻に籠もり、付き合う者をすごく絞ってきたから、人付き合いもしたことないのは不利だ。 結構、それって指揮者としては、実力と腕を認められる前に挫けることが多くて損だったりする。
それでも、ここは俺様流に、ハードルが高いほど、挑戦し甲斐があるって思うしかない。調子のいい時思えるんだけど、落ち込むととたんにヘタレてしまうから我ながら情けなくて。

.....自分のこと、こんなふうに客観的に考えられるようになったのも、やっぱり根っこのところに繋がりが出来たから・・か・もな……

気付いた俺の博愛精神は、何も人間に限っただけじゃなく、前は煩わしいと思ってた、子供や赤ん坊や老人や……可愛い小動物や、
さすがに猛獣は駄目だけど、その気になれば、猛獣だって倒せそうな、凶暴、奇天烈な生き物まで及ぶようになったから。

そう、この世に一匹しか存在しない絶滅危惧種の♀.......
たぶん、俺は一生精神安定剤として、手離せないんだろうなって思う。


思い出しただけで、緩んだ頬をはたきながら、俺は気合いを入れなおした。
さあ、今日はオケメンバーと歌い手の初顔合わせだ。
ちょっと震えるくらい、ワクワクしてきた。
道は遠いけど、必ず、どっかには行き着くんだろうから。

今できる限りの高みに……  
  音楽の天使のもとになるべく近く


ああ、まただ。  のだめが天使の環っかをのせて俺の頭の中を過ぎった。
しょうがないよな、アレは俺のだから……
俺はあいつの飼い主で、あいつは俺がいないと……
って、思わせてくれる俺の天使……ってことに、今日はしといてやる。

今夜は、久々にアイツのピアノで労って貰うことにしよう。
ほんとにあいつ……
ちゃんと練習してるんだろうな……してなかったら覚悟とけよ、オ・レ・の





――― Fin. ―――


2010.9.10. 奇しくものだめちゃんの誕生日に仕上がったので、最後に主役讃歌をひとつ。
シチュエーションは真一くん、よれよれになりながら、スケジュールの合間を強行突破して、「魔笛」のオーディションに参加する前後。
そうそう、この物語、SP的には二人の非凡な若者が、才能だけではどうしようもない現実。艱難辛苦?を乗り越えていく成長譚だと思ってるわけで・・・。
だから、私はのだめと出会った後の真一さんはあんま、ドロドロしないと思うし。そもそも、ストイックが服来て歩いてるってのが真さまだから。その彼が唯一、無意識に自分の箍を自分で外しちゃうのが、のだめちゃんの前ってことだとSPは信じてるんでした。         by SPRRITE_3rd